人生はあかるい

あかるいのブログです。

「残念だけど仕方ないね」か「仕方ないけど残念だね」か

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楽しみにしていたことが中止になったとき、誰でも残念だろうけど、そのときに「残念だけど仕方ないね」と思うか「仕方ないけど残念だね」と思うかで心の中で起こることが結構違うのでは?と考えた。

「残念だけど仕方ないね」と思うことは大人っぽい感じがする。仕方ない現実を受け入れ、気持ちを切り替えようとしている。利口で合理的な感じもする。

それと比べると「仕方ないけど残念だね」と思うのは感情が前面に出ていて聞き分けの悪い感じがする。

わたしは物心がついてから現在まで一貫して「仕方ないけど残念だね」と思うタイプだ。感情のコントロールが苦手と言われればそうかもしれない。だけど、わたしのような人間の良し悪しはともかく、自分の感情に蓋をしないで目を向けられるのは悪くないことのように思う。少なくとも自分の感情に気づけないよりは。

残念なときはサクッと切り替えるばかりじゃなく、存分に残念がったっていい。残念な気持ちを味わい切ることだってたまには許されたい(なかなかそうもいかないときが多いけど)。そういえば村上春樹の『ノルウェイの森』にはこんな一節がある。わたしはこの言葉が好きだ。

我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできない

(これは愛する人を亡くすことについて書いているので、楽しみにしてたことが中止になるのとはまた話が違うけど……)

なんでこんなことを考えたかというと、子どもと楽しみにしていたイベントが雨で中止になったからだ。主催者はわたしたち以上に残念なことだろう。だけどわたしたちも「仕方ないね」と受け入れるだけじゃなく、存分に残念がらせてもらいたい。そして、なんとかしてこの残念な気持ちを昇華して、別の楽しいことができたら最高。そんなことを延々と考えて眠れない夜だった。