人生はあかるい

あかるいのブログです。

覚えておきたい言葉

日常に紛れ込んでいる金言を忘れないためのメモ

 

世界はリズムそのもの!環ROY 『まいにちたのしい』の帯)

片付けるのは大人の仕事(おもちゃのお店 店主)

年中〜小学校低学年のお子さまは問題が解けるかどうかより、お子さまが考えることを楽しんでいるかどうかが何より大切です。(ワンダーラボ株式会社)

「子どもは何もわかってないので、おとなが教えて、できるようにしないといけない。それが親のなすべき仕事だ」という極端な思い込みが広まっている。発達心理学者アリソン・ゴプニックは、こうした考え方が、親だけに責任を追わせるような考え方を植え付けたとして批判している。ゴプリックは「親は、子どもを立派な大人に育てようとするあまり、常に心配がつきず、罪悪感と不満を抱え込むことになってしまった」と著者『思いどおりになんて育たない』(渡会圭子訳)で述べている。(井桁容子 「母の友」2024年4月号からあかるいが要約)

教育をテーマにした議論番組を見て考えたこと

Twitter凍結されたのでこれからは雑感とかもこのブログに書いていこうと思う。ってことでNewsPicksの2sidesという企画(異なる意見を持つ二人が出てきて議論する内容。聞き手は加藤浩次)で、教育をテーマにした回を2本見たのでその感想など。

 

1本目

早期教育の有害性を問う 佐藤亮子vs内田伸子newspicks.com

・佐藤ママこと佐藤亮子さんとお茶の水女子大学名誉教授の内田伸子さんの回

・「子どものためにお金をかけて何かしてやりたい」と思うのは良いけどその方向性を間違えるとむしろ有害という話で、同時にそういう「何かしてあげなきゃ」という切迫感から解放してくれる内容でもあった。

・有料コンテンツなので詳細な内容は書かないけど、英語教育についてすごく参考になった。わたしは英語教育についてずっと正解がわからずにモヤモヤしていたけど、おかげでようやく一つの解にたどり着けた気がする。ものすごくざっくりとだけ言うと、佐藤亮子さんは「教科書に出てくる単語を覚えさせるべき」そして内田伸子さんは「授業以外は何もしなくていい」と言っていた。お二人それぞれの意見を聞いて、わたしは「(英語が教科として始まる)5年生までにフォニックスだけは習得してもらいたいな」と思った。それならできる気がする。それ以上のことは目指さず今は母国語の力を育てよう。

・内田伸子さんが示すいろいろなデータの中でも「カットバック」という手法で編集された映像は、年長さんにならないと意味が理解できないというのが特に衝撃だった。カットバックはめちゃくちゃよく使われる手法だし子ども向けコンテンツでも普通に出てくるので。

 

2本目

【令和版 公立学校に求めるものとは?】藤原和博×工藤勇一newspicks.com

・教育改革実践家の藤原和博さんと横浜創英中高 校長の工藤勇一さんの回

・「平等な教育」とは「一斉授業で機会を均等に与えること」ではなく「一人一人のモチベーションを活かしていくこと」で、そもそも「平等」の概念を変えなきゃいけないという話を忘れたくないと思った。

・他にも金言がいっぱいあったんだけど、特に藤原和博さんの「いろんな奴がいる中で自分をどう維持していくかということを学ぶのは、公立学校の集団活動として一番良い部分なんじゃないか」、工藤勇一さんの「学校の役割は、子どもたちが『世の中に出たい』と感じられるようにすること」「先生の役割は、その子が大人になったらどう学ぶかを逆算して、試行錯誤してその子の学び方を探していくこと」というのが印象的だった。

・教育改革の足枷になっているのは保護者の反発という話があり(保護者は古い教育を受けているからある意味当たり前でもある)、本当そうだよな……と思ったのと、自分も誰かが改革してくれるのを待つのではなく何かできることを考えなきゃいけないのでは?と思った。とりあえず小学校でPTAの役員でもやってみようかな。

「パパは途中から来たんだよ」 子どもから見た、わたしたち家族の話

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去年の冬、わたしたちは家から近い温泉にいた。そして温泉では度々あったことだけど、当時4歳の子どもは、露天風呂で会った初対面の子と友達になった。小学1年生のNだった。

Nはショートヘアのハツラツとした子で、二人はすぐに打ち解けて遊んでいた。「名前はNちゃんっていうんだね」とわたしが言うと「呼び捨てでいいよ」と返すようなすごくカッコいい子だった。

Nは妹ができたように喜んで、風呂上がりには4歳児の髪をドライヤーで乾かしてくれた。4歳児もお姉ちゃんができたように懐いていた。

脱衣所の洗面台に座りながら、4歳児は「おうちにもお姉ちゃんがいるんだよ」と家族をNに紹介した。お姉ちゃんとはわたしの実家に住んでいる、当時25歳だったわたしの妹のことだった。本当は4歳児から見れば叔母さんにあたる。だけど重めの知的障害がある妹は大人でも子どもでもあるような存在で、4歳児にとってはお姉ちゃんと呼ぶのがしっくりきていたようだった。

わたしは、4歳児が人とは違う妹をあたりまえに「お姉ちゃん」と紹介したことが嬉しかった。一方でNは、4歳児が自分だけの妹じゃないとわかり少しがっかりしたようで、それもまた可愛かった。

そしてもう一つわたしにとって嬉しいことがあった。4歳児はこのあとも家族紹介を続けて、「パパは途中から来たんだよ」と言った。わたしと夫は子どもが3歳のときに結婚して、同時に夫は子どものパパになった。そのことを4歳児は「途中から来た」と表現したのだけど、それはもうあっけらかんと言ってのけた。Nは「ふーん」という感じで聞いていて、それから二人はお互いにパパ自慢を始めた。

わざわざ「途中から来たんだよ」と紹介したということは、4歳児もそれが普通ではないことはわかっているはず。その上でなんの引け目もなく初対面のNにそれを伝えた。パパが生まれたときからのパパではないことも、みんなと同じ家族のあり方でないことも、この子にとってなんらネガティブなことではないんだと気付けた出来事だった。

「残念だけど仕方ないね」か「仕方ないけど残念だね」か

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楽しみにしていたことが中止になったとき、誰でも残念だろうけど、そのときに「残念だけど仕方ないね」と思うか「仕方ないけど残念だね」と思うかで心の中で起こることが結構違うのでは?と考えた。

「残念だけど仕方ないね」と思うことは大人っぽい感じがする。仕方ない現実を受け入れ、気持ちを切り替えようとしている。利口で合理的な感じもする。

それと比べると「仕方ないけど残念だね」と思うのは感情が前面に出ていて聞き分けの悪い感じがする。

わたしは物心がついてから現在まで一貫して「仕方ないけど残念だね」と思うタイプだ。感情のコントロールが苦手と言われればそうかもしれない。だけど、わたしのような人間の良し悪しはともかく、自分の感情に蓋をしないで目を向けられるのは悪くないことのように思う。少なくとも自分の感情に気づけないよりは。

残念なときはサクッと切り替えるばかりじゃなく、存分に残念がったっていい。残念な気持ちを味わい切ることだってたまには許されたい(なかなかそうもいかないときが多いけど)。そういえば村上春樹の『ノルウェイの森』にはこんな一節がある。わたしはこの言葉が好きだ。

我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできない

(これは愛する人を亡くすことについて書いているので、楽しみにしてたことが中止になるのとはまた話が違うけど……)

なんでこんなことを考えたかというと、子どもと楽しみにしていたイベントが雨で中止になったからだ。主催者はわたしたち以上に残念なことだろう。だけどわたしたちも「仕方ないね」と受け入れるだけじゃなく、存分に残念がらせてもらいたい。そして、なんとかしてこの残念な気持ちを昇華して、別の楽しいことができたら最高。そんなことを延々と考えて眠れない夜だった。

子どもが6歳になる

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夜が明ければ6歳になった子どもが目を覚ます。寝顔は変わらず可愛らしいが、初めて寝返りしてむちむちの手足をバタつかせて喜んでいた0歳の頃や、あどけない表情に似つかわしくないほどよく喋っていた3歳の頃とは同一人物と思えないほどに逞しくもなった。

子どもは妖精みたいなぽやぽやした存在から、どんどん人間の個人として確立していく。わたしが手を出さなくてもいろんなことを自分で解決できるように(あるいは解決しようとするように)なっていく。正直そういうところに少し寂しさを感じてしまうけど、ちゃんとわたしも子離れのステップを登らないといけないということなのだろう。

そんなわたしの寂しさを感じ取ってか、子どもは眠りにつく前に「もっと5歳でいたかった」と言った。わたしは「5歳のあなたは6歳のあなたの中に入ってるから大丈夫だよ」と言った。きっとそうなのだ。

0歳のこの子も、1歳のこの子も、2歳のこの子も、3歳のこの子も、4歳のこの子も、5歳のこの子も、6歳のこの子の中にいる。その6年間もの歴史と一緒に、この子は今わたしと居てくれてる。子どもは保護者を選べないしまだ家出できるわけでもないから、一緒に居てくれるという事実だけで自分のこれまでの子育てを肯定できるとは思わないけど、のびのびと表情豊かに生きるこの子を見てあながち悪くなかったと思ってもいいだろうか。

これまでの子育ても大変だったけど、これからはこの子の個性や適性をどう扱い、どんな環境を用意し、どう伴走するかという難しい子育て課題が増えていくだろう。そう考えると緊張感に襲われる。昨日だって来年の小学校のことで悩んだ。こうやって小学校、中学校…… と、あと20年くらい(?)悩みながらサポートしていった先に、あなたは何者になるのか。それがとても楽しみ。こうなってほしいという期待はなるべくかけたくない。でも自分で自分のことを幸せにできる人になっていればいいのかなとは思う。そのときまで、わたしも自分の人生を生きて、あなたに尊敬してもらえるような人間でいたい。

まずは、今日から始まる6歳の毎日をめいっぱい楽しんで、そのキラキラした感性をたくさん感じていきたい。朝が来たら大好きと言いながら抱き締めさせてほしい。6歳の一年が楽しみになってくれるように。

妊娠

冬のつぼみ

第二子の妊娠がわかった。うまくいけば夏頃まで体の中で人間を一人育てて、それから出産することになる。

妊娠までの経緯

子どもがほしいと思い、産む方法と産まない方法の両方を考えた。

わたしは反出生主義の考え方も一部理解できるし、すでに養育者を必要としている子どもがこの世界に存在するならば、新しい子どもを生み出さなくてもいいのではないかと思っていた。

一方で、第一子を妊娠していたときには元夫からモラハラを受けていたため幸せな思い出があまりなく、かつ、それでもなお妊娠そのものは楽しかったので、今の環境でもう一度妊娠を経験したい思いもあった。(この考えはすごくエゴイスティックだと思うけれど、そもそも子どもをほしがること自体がエゴイスティックで、いずれにしても罪深さからは逃れられないと思っている。)

そういう相反する考えのもと、夫との話し合いを経て、わたしたちは妊活(産む方法)と特別養子縁組(産まない方法)を並行して進めることにした。

妊活(産む方法)と検査

妊活のことは自分で調べたり、友達や同僚に情報を教えてもらったりした。その中で、排卵検査薬やシリンジ法など色々な方法があることを知っていった。

そして妊活を始めて数ヶ月が経過した頃、これから妊活と特別養子縁組のどちらに比重を置いて取り組んでいくかの参考にするため、早めに不妊治療専門クリニックで検査を受けた。

特別養子縁組(産まない方法)

特別養子縁組とは…… 子どもの福祉のため、子どもと生みの親との法的な親子関係を解消し、子どもと育ての親が法的な親子関係を結ぶ制度。詳しくは厚生労働省のサイトへ https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html

特別養子縁組で子どもがほしいと思ったら、児童相談所で里親登録をする方法と、民間のあっせん事業者を利用する方法がある。児童相談所での里親登録をあっせんの条件にしている民間事業者もあると知り、わたしたちはまず児童相談所へ連絡した。そして最初の電話で、特別養子縁組の動機や家族構成(※)などを担当の児童福祉司に伝えた。※自分、夫、5歳の第一子の3人家庭。夫とは第一子が3歳のときに結婚した。

夫と第一子には血縁関係がなく、それでも羨ましいほど仲がよく、双方に深い愛がある。そんな二人がいるからこそ、特別養子縁組で子どもを迎えることに何の抵抗もないし、第一子と同じように愛していける自信がわたしたちにはある。そのことも伝えたが、児童福祉司から伝えられたのは「実子のいる家庭に子どもをお願いした実績が何年もないから、何とも言えない」ということだった。当時のモヤモヤがツイートに残っている。

モヤモヤを抱えたまま、わたしたちは管轄の児童相談所へ行き、特別養子縁組とその前提となる里親制度について説明を受けた。

さっき「すでに養育者を必要としている子どもがこの世界に存在するならば、新しい子どもを生み出さなくてもいいのではないかと思った」と書いたが、児童相談所の説明を聞いてみると、この認識が現実とズレていたことがわかった。

養子を待っている待機家庭から話を聞いたこともあったので養子を迎えるには長い時間がかかることは知っていたが、この児童相談所が管轄するエリアではわたしが思っていた以上に養子縁組を必要とする子どもの数は少ないことがわかった。そして、この場でもやはり実子のいる家庭への委託は、そうでない家庭と比べて懸念事項が多くハードルが上がるという説明を受けた。

この日は「特別養子縁組で子どもを迎えられる望みは薄そうだね」と夫と話しながら帰った。それでもわたしたちは里親登録を目指すことにするのだが、詳しくはまた別の機会に書く。

妊娠

こうして里親登録のスケジュールを考えつつ、不妊治療専門クリニックで検査を進める最中、幸いにも自己タイミング法で妊娠が叶った。第一子も喜んでくれ、赤ん坊のいる生活を楽しみにしている。

妊娠とそれに伴う体調不良は、現代の科学ではどうしてもわたし一人で背負うしかないが、だからこそ夫はできることの全てをしてくれている。わたしが禁酒するのが辛くないように大好きなお酒も一切やめた。毎日の食事も第一子のお弁当も使ってくれるし(これは妊娠前からだけど)、毎晩わたしのベッドに湯たんぽを入れておいてくれる。

妊娠しているのはわたし一人だが、「妊娠というミッション」は二人で取り組んでいる感覚がある。第一子の妊娠時と比べてつわりがかなりキツいけど、おかげで精神的には元気でいる。

みんなへ

このまま問題なく胎児が育っていけば夏の終わりにはうちにいる子どもが二人になります。今後ともあかるいをよろしくお願いします。ただ、Twitterではしばらくつわりなど妊娠に関するツイートが多くなると思うので、それを見るのがしんどい方はミュートなどしていただければと思います。

この文章は夫の許可を得て掲載しています。

些細な言葉遣いに祈りを込め続けることについて

夜の道を走る車


突然だがわたしは、子どもと話すときに実家の車のことを「じいじとばあばの車」と呼んでる。

レジャーに行くときに運転してくれるのはじいじが多いし、車の管理も主にじいじがしてるが、絶対に「じいじの車」と呼びたくない理由がある。

 

実家の車を買う原資になったのは、ほとんどがじいじ、つまりわたしの父が働いた給料だったと思う。

けれど、父と母は結婚したときに財布を一緒にし、母が専業主婦だった期間も含めて父の就労を支えてきたことを考えれば、父の給料は父と母のものだ。

それを原資に買った車も、もちろん父と母のものだ。

わたしはその思いを「じいじとばあばの車」という、ちょっと長い呼称に込めている。

 

「そんな些細な言葉尻に拘るのはめんどくさい」と感じる人が絶対いると思うのだけど、残念ながらそこに拘らなきゃいけないくらいにこの世は歪んでると思う。

 「自分の方が稼いでるんだから」という理由で配偶者の行動を制限しようとする人が、この世にはまだまだいるらしい。

そして「自分は稼いでいないから」という理由で配偶者に引目を感じる人も沢山いる。

 

たとえ夫婦のどちらかが専業主フだとしても、給料に差があるとしても、家族の財産は家族のもの

直接的にお金を稼がない家の中の労働も、とても重要な労働

そういうことを、わたしは些細な言葉使いに込めて子どもに伝えているつもりだ。

 

ところでNHK Eテレの「みいつけた!」という番組に、「ドンじゅらりん」という曲がある(作詞作曲:岸田繁)。

スイちゃんの可愛い歌声が岸田のメロディに乗り、くせになる良い曲だ。

 

その曲に、わたしが少し引っかかる歌詞がある。

パパのクルマは ぶぶんぶーん

ママのじてんしゃは りりんりーん

  

たぶん、パパが通勤やレジャーで主に車を運転し、ママは買い物や送迎で自転車を多用する家庭のイメージで作詞したんだろう。

だけど、それは本当に「パパのクルマ」?

(パパが結婚前に一人で買った車をそのまま使うケースとかもあるし、絶対にそうじゃないとは言えないけどね)

 

もちろんこれは、車に限ったテーマじゃない。

そして自分の家庭じゃなくて、誰かの家庭について話すときも同じ。

 

家族の財産を、特定の誰かのものみたいに話さないように。

よその家の事情はわからないからこそ、できるだけフラットな言葉で話すように。

わたしはこれからも気をつけていこう。

たとえそれが微力な、祈りみたいなものだとしても。