人生はあかるい

あかるいのブログです。

些細な言葉遣いに祈りを込め続けることについて

夜の道を走る車


突然だがわたしは、子どもと話すときに実家の車のことを「じいじとばあばの車」と呼んでる。

レジャーに行くときに運転してくれるのはじいじが多いし、車の管理も主にじいじがしてるが、絶対に「じいじの車」と呼びたくない理由がある。

 

実家の車を買う原資になったのは、ほとんどがじいじ、つまりわたしの父が働いた給料だったと思う。

けれど、父と母は結婚したときに財布を一緒にし、母が専業主婦だった期間も含めて父の就労を支えてきたことを考えれば、父の給料は父と母のものだ。

それを原資に買った車も、もちろん父と母のものだ。

わたしはその思いを「じいじとばあばの車」という、ちょっと長い呼称に込めている。

 

「そんな些細な言葉尻に拘るのはめんどくさい」と感じる人が絶対いると思うのだけど、残念ながらそこに拘らなきゃいけないくらいにこの世は歪んでると思う。

 「自分の方が稼いでるんだから」という理由で配偶者の行動を制限しようとする人が、この世にはまだまだいるらしい。

そして「自分は稼いでいないから」という理由で配偶者に引目を感じる人も沢山いる。

 

たとえ夫婦のどちらかが専業主フだとしても、給料に差があるとしても、家族の財産は家族のもの

直接的にお金を稼がない家の中の労働も、とても重要な労働

そういうことを、わたしは些細な言葉使いに込めて子どもに伝えているつもりだ。

 

ところでNHK Eテレの「みいつけた!」という番組に、「ドンじゅらりん」という曲がある(作詞作曲:岸田繁)。

スイちゃんの可愛い歌声が岸田のメロディに乗り、くせになる良い曲だ。

 

その曲に、わたしが少し引っかかる歌詞がある。

パパのクルマは ぶぶんぶーん

ママのじてんしゃは りりんりーん

  

たぶん、パパが通勤やレジャーで主に車を運転し、ママは買い物や送迎で自転車を多用する家庭のイメージで作詞したんだろう。

だけど、それは本当に「パパのクルマ」?

(パパが結婚前に一人で買った車をそのまま使うケースとかもあるし、絶対にそうじゃないとは言えないけどね)

 

もちろんこれは、車に限ったテーマじゃない。

そして自分の家庭じゃなくて、誰かの家庭について話すときも同じ。

 

家族の財産を、特定の誰かのものみたいに話さないように。

よその家の事情はわからないからこそ、できるだけフラットな言葉で話すように。

わたしはこれからも気をつけていこう。

たとえそれが微力な、祈りみたいなものだとしても。